Mexico: The business groups and economic history behind Mexico’s three World Cups
マラドーナの「神の手」はその時代に生まれていない筆者でも知っているサッカー史に残る伝説である。その伝説が生まれた1986年メキシコ大会から40年後の今年6月11日(日本時間12日の明朝4時)、同じスタジアム「エスタディオ・アステカ」で行われるメキシコ対南アフリカの一戦から2026年FIFAワールドカップ北中米大会は開幕した。
サッカー少年ではなかった筆者が本格的にサッカーをみるようになったのは2014年ワールドカップ。その大会で最高のパフォーマンスを魅せ、優勝候補だったブラジルからの猛攻をシャットアウトしたメキシコ代表ギジェルモ・オチョアは筆者のメキシコ代表をみるきっかけにもなった。長年メキシコ代表のゴールを守ってきた守護神オチョアは今大会への代表メンバー入りを果たし、史上初の6大会連続のメンバー入りとなった1。
本大会では、史上初のことがもう一つ生まれる。それは、1970年、1986年そして、今大会の開催を迎えると、メキシコはワールドカップを3大会開催した初めての国となる2。欧州やブラジルなどのサッカー大国がいまだに最大でも2回しか開催できていないなかメキシコがサッカー史に新たな歴史を刻む。
一方で、ワールドカップで優勝の経験もなく、最高成績もベスト8(近年はベスト16の壁を越えられていない)というメキシコに対して一つの疑問が生じる。それは、なぜ過去2回も開催できているのかということである。さらにメキシコ経済を専門にする筆者の目線からみてもさらにその謎は深まる。過去の大会をみると、1970年はメキシコが安定的に経済成長をしてきた「メキシコの奇跡」と呼ばれる時代の成熟期であり、メキシコ経済・社会の発展を世界に示す意味でも開催できたことに驚きはない。しかし、1982年の債務危機や1985年のメキシコシティ大地震など社会・経済が不安定な時期であったことを考えると、1986年になぜ2回目の開催ができたのだろうか。さらに、近年では経済成長が著しい他の国々が1回も開催できていないことや、欧州諸国ですら2回目の開催に至っていないことを踏まえると、なぜメキシコが3回も開催できるのか疑問がますます深まる。
その疑問に対して、過去の大会招致や今大会の招致の経緯をみてみると、その背景にメキシコ経済で大きな役割を担っているあるビジネスグループ(厳密には違うが「財閥」のような大規模事業体のこと)の存在があった[星野 2010]。そして、そのビジネスグループが大役を担えたのにはメキシコ経済の歴史が影響していた。
各国の代表が集い、世界のすべてのサッカーファンの注目が集まるスタジアムの外には、開催国の経済がある。本稿では、メキシコがなぜ世界初の3回目の開催ができるのか過去の開催の経緯を概観することで、そのなかで重要な役割を担ったメキシコ経済特有のビジネスグループの存在を明らかにする。そして、そのビジネスグループの存在の背景にあるメキシコ経済の歴史を紹介する。
写真1 本大会開幕戦の舞台エスタディオ・アステカ
メキシコが北中米で初の開催国となった1970年大会はペレ率いるブラジル代表が初のワールドカップ3回目の優勝を決めた大会であった。さらに、そのわずか4大会後の1986年に再びメキシコでワールドカップは開催された。
両方の大会招致に貢献したといわれているのがギジェルモ・カニェドとエミリオ・アスカラガ・ミルモ(以下、ミルモ)である[Brewster and Brewster 2014]。カニェドはモレロス州のFCサカテペクの初代会長を務め、在任中に短期間でチームが成功したことから、1960年にはメキシコサッカー連盟の会長に任命され、そして1968年にFIFA副会長を務めた人物である[Elías Jiménez 2020]。彼のFIFA内での政治的影響力が過去2回の招致において重要であったことは明白である3が、もう一人の重要人物であるミルモも招致において重要な役割を担っていた。
写真2 エスタディオ・アステカにある過去2大会の記念プレート
ミルモは、メキシコ最大のメディア企業グループであるテレビサ(Grupo Televisa)4の二代目経営者である。1951年に設立されたテレビサは、他のテレビ企業と合併することでテレビ産業での独占的なポジションを形成し成長してきた[Sinclair 1998]。その発展の過程で、ミルモは1960年に国内最大のサッカーチームのクラブ・アメリカのオーナーに就任する5。このクラブは、1916年の学生チームをルーツにもつ歴史の長いチームで、今ワールドカップの初戦が行われるエスタディオ・アステカをホームスタジアムとし、過去にはメキシコ代表オチョアやレアルマドリードでも活躍した元チリ代表イバン・サモラーノなどが所属していたことでも知られている。ミルモはこのクラブの獲得に加え、メキシコ国内リーグ全体の放映権を手中に収めるなど、テレビ産業とメキシコサッカー界の両方において影響力を高めていった。
ミルモが、過去2大会のワールドカップ招致に関与できた要因の一つとして彼とカニェドとの関係がある。1961年、ミルモはカニェドをクラブ・アメリカの会長に据えた。これによって彼らの関係は深まり、その後のワールドカップ招致に協力して挑む体制が形成された[Brewster and Brewster 2014]。
彼が大会招致に影響したもう一つの要素として、先進的な放送技術の導入が挙げられる。テレビサは1970年ワールドカップの2年前にあたる1968年メキシコオリンピック時にカラー放送を本格的に実現していた6。それに加えて、1970年大会では今では一般化しているリプレイとスローモーションの放送を提案することで放送技術の発展を示し、大会招致につながった[Fernández and Paxman 2000]。
2回目のメキシコでのワールドカップ開催は元々の開催予定地であったコロンビアとの交代で決まった7。コロンビアは開催決定後、FIFAが要求した出場国拡大やスタジアムの収容人数の条件を満たすことができないと判断し、1982年に86年大会の開催地から降りることを決定した8。その後、ブラジル、米国、カナダ、そしてメキシコが交代枠として浮上したが、すでに高度な放送技術をもっていたテレビサの存在や1970年大会の成功もあり、カニェドを中心に招致レースをまたもや上手く進めていたことで、ライバルを抑えて2回目の開催を勝ち取った。
写真3 エスタディオ・アステカにある1986年大会のマラドーナを讃える壁画
過去2大会と異なり、本大会は米国・メキシコ・カナダの3カ国による共催で行われる。当初メキシコは、出場国や試合数の増加を踏まえ、単独での開催が難しいと判断し、カナダとの共催を構想していた。今大会の開催地は一国一票のルールのもとで選出される方式であったため、他国からより多くの支持を受けることが重要であった。そのなかで、単独での招致を考えていた米国は開催コストの削減や北中米の団結を示すことによる得票を考慮し、3カ国共同開催での招致に踏み出した9。その共催という戦略もありメキシコに3回目のワールドカップがやってくることになった。
それでは、本大会の大会招致にはアスカラガ家やテレビサはかかわっていないのだろうか。アスカラガ家とメキシコサッカー連盟との密接な関係は現在も継続しており、こうした関係性が今回の招致過程においても一定の役割を果たしただろう。1986年以降も、テレビサやクラブ・アメリカと関係のある人物がメキシコサッカー連盟の要職を務めており、長期的にアスカラガ家とサッカー連盟には深い繋がりがあった。2026年大会の招致を進めているときの会長でもあったデシオ・デ・マリアも三代目テレビサのオーナーであるエミリオ・アスカラガ・ジャンと近い人物であった10。また、その後共同開催決定後の2018年からはテレビサの元副会長のヨン・デ・ルイサがサッカー連盟会長を務めていた。
以上でみたとおり、本大会を含めた過去3回の大会招致プロセスにおいて、アスカラガ家が強く関与していた。それでは、サッカー界を動かすようなアスカラガ家のようなビジネスグループが出現し、力をもつことができたのは、メキシコ経済のどのような背景によるものだったのだろうか。
国内企業の売り上げの約74%を生みだす上位50社のうち4割がビジネスグループであるとおり、メキシコ経済におけるビジネスグループの役割は非常に大きい[星野 2010]。ワールドカップ招致に影響を及ぼしていたアスカラガ家の所有するテレビサもその一つである11。ミルモの父が1951年に設立したテレビサは、ラテンアメリカ初のテレビ放送をした放送会社で、設立以降アスカラガ家が一貫して支配株主であった。このようにある一族が長期的に支配株主であり続けるビジネスグループはメキシコではよくみられる。彼らビジネスグループの変化はメキシコ経済の歴史と深いかかわりがある12。
まず、メキシコのビジネスグループはいつ・どのように生まれたのだろうか。メキシコのビジネスグループは1940年までに設立された第一世代と1940年以降にできた第二世代とに分けられる。第一世代は、主に外国人や移民、それらの人と関係のある人物のいずれかが創業者であり、対米通商の拠点都市であったモンテレイが創業地であった。先進工業国の知識などを容易に取り込めるこのような環境で第一世代は出現した[星野 2010]。ちなみに、このモンテレイにあるエスタディオBBVAでは今大会の日本対チュニジアの一戦が行われ、その試合がFIFAワールドカップの記念すべき通算1000試合目となる13。
テレビサのようなビジネスグループ第二世代は1940年からはじまる輸入代替工業化政策を背景としたメキシコ経済の成長に沿って出現した。関税などの輸入規制政策や国内の産業育成政策などの輸入代替工業化によってメキシコ経済は飛躍的に発展した(図1)。また、1970年代に入ると、ビジネスグループに対する税制優遇措置の法令が制定され、メキシコが新たな産油国となったことで石油ブームが起きるなど、さらにビジネスグループが力を伸ばすこととなった。そのような経済環境のなかで、テレビサも第二世代のビジネスグループとして出現・成長し、その後の1970年・86年のメキシコでのワールドカップ開催招致への影響力につながっていった。
図1 メキシコの一人当たりGDPと経済政策
それでは、1986年大会から本大会の招致時期であった2017年までの経済環境はテレビサを含むビジネスグループにとって変化はなかったのだろうか。1980年代は、1982年の債務危機からの回復・安定のために民営化や貿易自由化などを含む構造改革がはじまった時期である。1994年の金融危機以降、NAFTA(北米自由貿易協定)の開始や外資規制の緩和などの自由化をさらに進めていった時代である(図1を参照)。この経済の自由化・グローバル化による競争環境の変化は、外国企業の参入や新興企業の登場を促し、ビジネスグループにとって、市場から淘汰されたり、または、生き残るために変化を求められたりするものであった[星野 2010]。
この競争が激化した環境で、テレビサが生き残ってきた理由の一つとして、テレビ産業特有の優遇措置がある。1989年からはじまる外資規制緩和政策のなかで、テレビ産業は外資の出資比率が制限される特別な分野に該当していた。つまり、外資によって買収されるという他の産業分野の企業にとっての脅威がテレビサにはなかったのである。もう一つの理由は、90年代の民営化が進む中で解体された公企業が少数のビジネスグループに買われたことによる寡占状態の継続である[Lustig 1998]。テレビ産業でみると、1993年に公営テレビのイメビシオンがビジネスグループのサリナスに買われ、テレビアステカになったが、そのテレビアステカとテレビサの2大企業がテレビ放送の約95%を占めていた[岡田 2025]。経済の自由化・グローバル化が進んだとしても、テレビ産業が競争的な環境にならなかったためテレビサはその力を維持できていたことがわかる。
以上のように、アスカラガ家のテレビサが初開催から3回目のワールドカップ開催まで長期的に影響力を及ぼすことができたのは、メキシコのビジネスグループを取り巻く経済制度が背景にあることがわかった。
本コラムでは、メキシコがなぜ史上初のワールドカップ3大会開催国になれたのかという問いを、ワールドカップ招致に多大な影響を与えたアスカラガ家とそのビジネスグループを支えるメキシコ経済の特徴から説明した。メキシコサッカー連盟とFIFAに大きな影響を及ぼしていたのは、メキシコのテレビ産業のビジネスグループであるテレビサとそのオーナー、アスカラガ家であった。彼らのようなビジネスグループは、メキシコの経済環境の変化に合わせて出現・成長してきた。
過去2回、伝説を生んできたエスタディオ・アステカで再びワールドカップがはじまった。ピッチの上の試合に熱狂しつつも、ワールドカップの背後にあるメキシコ経済を思いながら試合を観戦してみてはいかがか。
※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。
(日本語文献)
(外国語文献)
注
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