Curaçao: Why did Curaçao qualify for the World Cup?
2025年11月、キュラソー代表チームは、ジャマイカ代表チームと引き分けたことで、初めてのW杯本大会出場権を獲得した。カリブ海に位置する小さな島で暮らす20万人に満たない現地の人々はこの出来事に歓喜し、本大会でのブルー・ウェイブ(キュラソー代表チームの愛称)の活躍に大きな期待を寄せている。海外メディアは、キュラソー代表チームがW杯本大会の切符を勝ち取った背景として、今大会から出場チーム数が従来の32から48へ拡大された点に加え、同代表が所属する北中米カリブ海予選での強豪国のカナダ、米国、メキシコの3ヶ国が開催国枠として自動的に出場権を得たことを指摘している1。確かに、これらの要因はW杯史上最も人口が少ない出場チームとなるキュラソー代表にとって追い風となっただろう。しかし、同予選における強豪国のコスタリカやホンジュラスが本大会出場を逃した事実を踏まえると、キュラソー代表チームの躍進を単なる幸運として理解することは適切ではない。同代表チームは近年着実に力をつけており、そのことは国際サッカー連盟(FIFA)ランキングの推移にも表れている。2011年時点でのキュラソー代表チームは151位に位置していたが、最新値(2026年4月)では82位にまで上昇している2。Jリーグに目を向ければ、クエンテン・マルティノス(2014~2018年:キュラソー代表)が横浜・F・マリノスや浦和レッズなど複数のクラブで活躍したことは記憶に新しい。
近年キュラソーではサッカー人気が高まりつつあるが、現地で最も人気があるスポーツは野球であり、これまで多くの野球選手を世界に輩出している。日本球界では、ウラディミール・バレンティンが東京ヤクルトスワローズや福岡ソフトバンクホークスで活躍した。世界最高峰のプロ野球リーグであるメジャーリーグ(MLB)でも、この島で育った選手が存在感を示している3。中島[2017]は、キュラソーで優れた野球人材が生み出される理由として、少年期からの体系的な指導と長期的視野に基づく育成システムの存在を指摘している。では、サッカーにおけるキュラソー代表チームの急成長は、どういった理由が挙げられるのだろうか。本稿では、日本ではほとんど知られていないキュラソーの歴史や社会を紹介したうえで、同代表チームが悲願のW杯本大会出場権を掴むに至った要因について考察する。
図1 キュラソーの位置
キュラソーは、15世紀にヨーロッパ人航海者によって「発見」された後、スペインの支配下に置かれた。その後、17世紀に入り、オランダの手に渡ったこのカリブの島は、オランダ西インド会社の拠点となり、大量の奴隷が運び込まれた[Blakely 1998]。こうした歴史的背景からアフリカ系黒人が住民の多数を占めるが、アジア系や欧米系にルーツをもつ住民も居住しており、多民族・多人種社会が形成されている4。なかでも注目すべきは、ユダヤ人コミュニティの存在である。オランダ西インド会社は、ポルトガルとスペインからオランダに逃れてきたユダヤ人をキュラソーに入植させたことで、1650年代以降、同島ではユダヤ人コミュニティが形成された。オランダ統治下において信仰の自由が認められていたことに加え、交易や造船を通じて経済的成功を掴んだユダヤ人移民が現れたことから、移住者数は増加していった。その結果、19世紀初頭のキュラソーは、西半球最大規模のユダヤ人コミュニティを有する地域となった[カレーニョ 2017]。また、第二次世界大戦期には、在リトアニア・オランダ名誉領事が、ヨーロッパでの迫害から避難を希望するユダヤ人難民に対し、キュラソーを「最終目的地」としてビザを発給した。その際、杉原千畝在リトアニア・日本領事代理が発給した通過ビザは、多数のユダヤ人を救ったことから、日本では「命のビザ」として知られている。
第二次世界大戦後、大国による植民地支配を見直す世界の潮流のなかで、オランダ政府は1954年にカリブ海の6島(キュラソー、アルバ、ボネール、シント・マールテン、シント・ユースタティウス、サバ)をオランダ領アンティルとの名称のもと自治領と定めた。その後、1986年にアルバが離脱し単独の自治領となり、2010年にはオランダ領アンティルは解体された。その結果、キュラソーはオランダ王国を構成する1つの地域となった。独立国ではないキュラソーだが、独自の政府は存在する。キュラソーの元首はオランダ国王だが、その代理として総監が置かれ、内政自治権を有する。たとえば、経済、医療、教育といった国内行政はキュラソー政府の管轄下にある。他方、外交や国防など特定の例外事項については、オランダ王国憲章に基づき、キュラソー独自の対応は認められていない5。
現在のキュラソー経済を支える主要産業は観光業である。欧米を中心とする海外観光客は、カリブ海の絶景や歴史あるオランダ様式の街並みに魅了されている。島内の約18万人のうち2万人以上が観光業に従事しており、2025年には過去最多となる170万人以上の観光客がこの島を訪問した6。しかし、20世紀を通じてのキュラソー経済の中心は石油産業であった。20世紀初頭、隣国ベネズエラで大規模油田が発見されると、多国籍石油企業はベネズエラ沖から北にわずか約60キロメートルに位置するキュラソーに石油精製施設を建設した。この地理的優位性を活かし、長期にわたり石油精製や輸出の拠点として発展した。しかし、20世紀後半以降、他国の製油施設との競争激化や国際石油市場の変化などの複合的要因により、キュラソーの石油産業の国際的地位は徐々に低下した。1985年には同施設の所有権が多国籍企業からキュラソー政府へ移った。キュラソー政府は、ベネズエラ国営石油会社と長期リース契約を締結することで、石油精製施設の操業を継続させていた。しかし、2019年の契約終了に伴い、同施設の稼働は停止している[MacDonald 2023]。2026年1月、ドナルド・トランプ米大統領はニコラス・マドゥロ・ベネズエラ大統領を拘束した。その後のトランプ大統領の言動からは、ベネズエラの石油資源を米国主導で管理する意向がみてとれる。キュラソー政府はこの状況をビジネスチャンスと捉え、米国と良好な関係を築き、停滞する島内の石油産業の復活を目指している7。
写真1 オランダ様式の街並み
つぎに、キュラソー代表チーム躍進の理由について述べる。そもそも、独立国ではないキュラソーがなぜW杯に出場できるのか疑問を抱く読者も少なくないだろう。W杯を主催するFIFAは、主権国家そのものではなく、加盟するサッカー協会を単位として代表チームの参加資格を認めている。FIFA創設以前より各サッカー協会単位の代表チームが国際大会に参加する慣行が確立されていたことを背景に、W杯は国家代表ではなく協会代表による大会として運用されている。キュラソーサッカー連盟は、1921年に設立され、1932年にFIFAへの加盟を果たしているため、W杯の参加資格を有する8。なお、野球においては、キュラソーを含むオランダ王国の構成地域出身選手は統合的にオランダ代表として国際大会に参加している。
2026年5月、W杯本大会で戦うキュラソー代表メンバー23名が発表された。表1の通り、タヒス・チョンを除き全員がオランダ本土出身者である。そして、彼らのほとんどがエールディヴィジ(オランダサッカーのトップリーグ)を含むヨーロッパのクラブでプレーしている。換言すれば、キュラソー代表チームとは名ばかりに、同代表チームはヨーロッパ在住のオランダ本土出身選手で占められている。
他国の代表チームでは、サッカー強豪国出身の選手を帰化選手として迎え入れ、チーム強化に繋げることがある。キュラソーの場合、島出身者であってもオランダ本土出身者であっても同じオランダ国籍のため、必ずしも他国の帰化問題と同等に扱うことはできない。但し、オランダ国籍があれば誰でもキュラソーの代表資格が得られるのではなく、キュラソーとの結びつきが必要である。FIFAの定める規定に照らし合わせると、(1)本人がキュラソー生まれ、(2)両親・祖父母のいずれかがキュラソー生まれ、(3)少なくとも5年のキュラソー居住経験、のどれか一つを満たす必要がある[FIFA 2021, 18]。
キュラソー代表メンバーに選出されたオランダ本土出身選手には他の共通点もある。それは、オランダ代表から声がかかる見込みが低いサッカー選手ということだ。多くの選手がオランダの年代別代表に選出された経験を有するが、ビッグクラブ所属の選手ばかりで構成されるオランダ代表メンバーに割って入ることは難しいようである。彼らにとってキュラソー代表を選択することは、国際舞台で自身の名を売る貴重な機会といえる。なお、すでに世界トップレベルの選手の場合、たとえキュラソーにルーツがあっても、オランダ代表を選択している。ユリエン・ティンバー(アーセナル所属)やヨレル・ハト(チェルシー所属)がその代表例である。
キュラソーサッカー連盟会長によれば、代表チームでのオランダ本土出身選手の比率が高まるきっかけは、ある監督の就任であった9。それは、アヤックスやバルセロナなどで活躍した元オランダ代表のパトリック・クライファートである。キュラソー出身の母をもつこのサッカー界のレジェンドは、2015~2016年の間、キュラソー代表監督を務めた10。この元世界的名選手の高い知名度と人的ネットワークを活かすことでオランダ本土出身選手の招集に成功し、戦力強化へと繋がった。
このようにキュラソー代表チーム躍進の背景には、キュラソーとの結びつきを有するオランダ本土出身選手が戦略的に積極招集・登用されていることが確認できる。この方針を推進するために、キュラソー代表監督には、過去にオランダ代表監督を務めたオランダ本土出身指導者が招聘される傾向にある11。こうした一連の取り組みが功を奏し、その成果としてキュラソー代表チームは歴史的なW杯本大会への進出を果たした。
W杯本大会でキュラソーが所属するグループEには、ドイツ(FIFAランキング10位)、エクアドル(同23位)、コートジボワール(同34位)という格上の対戦相手が待ち構えている。オランダ本土の人々にとってサッカーで最も負けたくない相手国はドイツであり、歴史的な背景から両国の因縁は深い[クーパー 2001]。そのため、初戦のドイツ戦はキュラソーによる「サッカー代理戦争」として、オランダ本土の人々もカリブの島の勝利を強く望むだろう。キュラソー代表チームにとって厳しい戦いが予想されるが、W杯という夢の舞台の切符を勝ち取った彼らの番狂わせを期待したい。
(2026年5月30日脱稿)
※この記事の内容および意見は執筆者個人に属し、日本貿易振興機構あるいはアジア経済研究所の公式意見を示すものではありません。
浜端喬(はまばたたかし) アジア経済研究所 研究推進部 研究交流・研修課勤務。研究マネージメント職。修士(国際開発学)。関心地域は、中央アメリカ・カリブ諸国。
注
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